2012年04月01日

「新米秘書の愛しかた」番外編SS

プリズム文庫「新米秘書の愛しかた花嫁ランジェリーvプロジェクト」の番外編です。
あとがきでご案内した関根&夕夏のお話です。




 ――――枕元で携帯電話が鳴っている。
「……ん……」
 目を開けると、カーテン越しに明るい陽射しが降り注いでいた。
(誰だろ……)
 ごろりと寝返りを打ち、携帯を手に取る。
 液晶画面に表示された発信者名を見て、雄人はがばっと布団の上に飛び起きた。
「……はい……っ」
『あ、藤井くん? ぷりずむ編集部の鈴木です』
「はい……どうもお世話になっております……」
『今ちょっといい? 仕事の話なんだけど』
「はい……っ」
 心臓がどくんと跳ね上がる。
 ――――雄人は『藤井夕夏』というペンネームで少女漫画を描いている。
 高校生のときに少女漫画誌『月刊ぷりずむ』からデビューして約六年。今ひとつ人気が出なくて、今やすっかり売れない少女漫画家≠ネのだが……。
『急で悪いんだけど、明日から三日間、中野先生のアシスタントに行ってもらえないかな』
「……アシスタント……ですか……」
 がっかりして、雄人は肩を落とした。
 新規の仕事の依頼かと期待してしまったので、落胆も大きい。
『中野先生のところ、前にも行ったことあるよね。詳細はあとでメールするよ』
「はい……よろしく……お願いします……」
 電話を切って、雄人はため息をついた。
 最後のコミックスが出てから三年。仕事はここのところ増刊号の読み切りばかりで、雄人は少々焦っていた。
(でも……まあ……こうやって声をかけてもらえるだけでも……ありがたいけど……)
 背景や小道具を描くのが上手く、トーン貼りなどの作業も速くて丁寧なので、雄人はアシスタントとしてはかなり人気がある。ここ三年、本業の漫画家よりもアシスタント業のほうがメインになっているくらいだ。
(……そうだ。お店のほうに……欠勤の連絡入れとかなきゃ……)
 漫画家兼アシスタントの他に、雄人にはもうひとつの顔がある。
『はい』
「もしもし……夕夏です……急で申し訳ないんですが……明日と明後日お休みさせください……」
『あら、仕事入ったの?』
 クラブ『FRUIT PUNCH』のママ、三木が答える。
「ええ……アシスタントのほうの……」
『ふうん、まあ仕方ないわね。終わってから来られそうだったら出勤してちょうだい』
「はい……すみません……」
 謝って、電話を切る。
 ――――雄人のもうひとつの顔、それはランジェリーパブのホステスだ。
 漫画だけでは収入が心許ないので、高校を卒業してすぐに趣味と実益を兼ねて入店した。今では店でいちばんのベテラン、固定客をがっちり掴んでいる人気ホステスのひとりだ。
 布団の上に膝を抱えて座り、雄人はぼんやりと室内を見回した。
 古ぼけた六畳の和室には、洋服があふれ返っている。押し入れを改造したクローゼットにぎっしりと並んだ服は、ほとんどが女ものだ。
(中野先生のところだったら……ゴスロリ着ていってもいいかな……)
 先週買ったばかりの黒いふりふりのドレスを手に取る。
 ――――雄人が少女漫画家の仕事場で歓迎されるのは、手先の器用さだけが理由ではない。
 雄人が、男の娘≠セからだ。
 女装をしているときの雄人は、完全に女性に同化している。話し方も、仕草も……そして多分、考え方までも。
 恋愛の対象も男性なので、彼女たちと普通に恋バナで盛り上がることもあり、それはそれでとても楽しい。
(だけど……)
 ドレッサーの前に座って、雄人は鏡を見つめた。
 化粧を落とした素顔、短い髪、色気のない黒縁の眼鏡。
 ――――これが本当の姿だ。
 ランパブやアシスタント先ではストレートのロングヘアのウィッグを被り、完璧なメイクをして女性になりすましているが、本当の自分は女性になりきれていない。
 ――――女装を始めたとき、雄人は自らのセクシャリティについて考えた。
 ホルモン投与や手術で、より女性らしい体に近づくことはできる。
 けれど、そうしなかった。
 自分は男性の体のまま、男性に愛されたいのだと気づいたから……。
(こんな姿見せたら……ランパブのお客さんたち……幻滅するだろうな……)
 パジャマ代わりの白いTシャツとスウェットパンツを見下ろし、雄人は苦笑した。
 前に一度だけ、女装姿の雄人を好きになってくれた人とつき合ったことがある。
 けれど彼は、雄人が素顔を晒した途端に逃げ出した。
(最初から男だってわかってたのに……土壇場になって逃げるとか……ほんと最低……)
 ランパブで働き始めて間もない頃の、苦い思い出だ。
 それ以来、雄人は客とは個人的なつき合いをしないと決めている。
 女性の服を着たい自分。
 体は男のままでいたい自分。
 どちらも自分で、両方とも受け入れて欲しいと思うのは贅沢なのだろうか……。
 携帯のメール着信音に、雄人ははっと我に返った。
 発信者の名前を見て、ため息をつく。
 ――――関根さん=B
 ランパブの常連で、目下雄人に猛アタック中の客、関根利彦だ。
『おはよう夕夏ちゃん晴れもう起きてた? ゆうべは楽しかったねわーい(嬉しい顔)ビール 次の出勤日、同伴どうかなレストランるんるん お返事待ってま〜すphone to揺れるハート揺れるハート
 絵文字だらけの脳天気な文面に苦笑する。
(関根さんのこういうとこ……ちょっと苦手だ)
 関根は明るく社交的で、気さくな人物だ。
 いつも指名してくれるし、ネガティブなことは言わないし、一緒にいて楽しいといえば楽しいが……その調子の良さゆえに、どこか信用できずにいる。
 自分に対する猛アプローチも、本気なのか、それともその場を盛り上げるための口先だけなのか、今ひとつ判然としない。
(まあ……どっちにしても……お客さんとつき合う気はないけど……)
「お兄ちゃん、入るよー」
 ふいに襖の向こうから声をかけられ、雄人は携帯から顔を上げた。
 高校生の妹、美結が、雄人の返事を待たずに遠慮なく襖を開ける。
「明日友達と出かけるから服貸してくれない? こないだお兄ちゃんが買った黒いやつ。ああ、それそれ」
「え……」
 ドレッサーの横に掛けてある黒いドレスを指さされ、雄人は困って視線を泳がせた。
「これは……明日着ていくから……」
「ええーっ、他にもいっぱいあるじゃん」
「でも……」
「お兄ちゃんは黒は似合わないよ。こっちのピンクの着たら? そのほうが絶対可愛いって」
 自信満々に言い切って、美結がドレスを手に取る。
(……ま、いいか……)
 美結は自慢の妹だ。
 可愛くて素直で……何よりも、雄人が少女漫画を描いていることや女装をすることに対して偏見を持っていない。
「わかった……」
「やったあ! ありがとお兄ちゃん! 感謝感謝!」
 はしゃぎながらドレスを胸に当てる美結を、雄人は微笑ましく見つめた。


 階段を下りると、二階の居間で編み物をしていた祖母が顔を上げた。
「あら雄人、起きたの」
「うん……」
「今日は仕事?」
「ううん……今日は休み……」
「じゃあ食料品の買い出しつき合って」
「うん……顔洗って着替えてくる……」
 藤井家は両親と祖母、長男、次男の雄人、美結の六人家族だ。
 両親は下町で代々続く和菓子屋を営んでおり、一階が店舗兼作業場、二階から四階が住まいになっている。店は兄が継ぐことになっており、昨年修業先の有名和菓子屋から戻ってきたところだ。
「おばあちゃん……用意できたよ……」
 パーカーに綿パンという普段着に着替えて下りていくと、祖母が老眼鏡をずらして「おや」と呟いた。
「なんだい、今日は男の子の格好なのかい」
「うん……」
 雄人が女装を始めたとき、当然ながら祖母はあまりいい顔をしなかった。
 それは両親も同じだったが……数年前、近所の酒屋の息子がビジュアル系バンドのボーカリストとして一躍スターになって以来、あまり文句を言わなくなった。
「ふうん……こないだ呉服屋さんの奥さんが雄人のこと褒めてたんだけどね。まあいいわ、じゃあ行こうか」
 どことなく残念そうにそう言って、祖母は「よっこいしょ」と立ち上がった。


「おばあちゃん……僕、先に帰ってるね……」
 スーパーからの帰り道、手芸店の店先で話し込み始めた祖母に、雄人はそっと小声で耳打ちした。
「ああ、うん、そうしてちょうだい」
 子供の頃から顔なじみの手芸店の店主にぺこりと会釈して、両手にレジ袋をぶら下げて歩き始める。
 総菜屋の店先から、コロッケを揚げるいい匂いが漂ってくる。下町の商店街は、いつもと変わらぬ賑わいを見せていた。
(あ……メール……)
 ぶらぶらと歩きながら、雄人は関根からのメールに返信をしていないことを思い出した。
 ……関根のことは、雄人にとって悩みの種だ。
 こうやって誘ってくれるのはとてもありがたいし、彼のことは嫌いではない。
 何度も何度も断っているのにめげずにアタックしてくる関根に、他の客とは違う親近感を抱き始めているのも事実だ。
 けれど、深入りする気はない。
 このまま素っ気なく拒絶し続けるべきか、それとも同伴くらいはつき合うべきか……。
(アフターはまずいけど……同伴だったらいいかな……)
 しかし両手に荷物を提げた状態でメールを打つのも億劫で、帰宅してからにしようと思い直す。
(あ……この花……すごく綺麗……)
 生花店の店先で、雄人は足を止めた。色とりどりの花が咲き誇る中、上品な印象の白い花に目を吸い寄せられる。
(こういう形の花、珍しいな……背景に描いたら映えそうだ……)
 カラーの表紙がもらえたら、この花を描いてみたい。資料用に何本か買って帰ろうと、雄人は店の中を覗き込んだ。
「すみません……これ……」
 レジにいた女性店員に声を掛けるが、あいにくと彼女は電話中だった。「ちょっと待って」と仕草で示されて、頷いて花のほうへ視線を戻す。
 店頭の花を眺めていると、背後をスーツ姿の若い男が通り過ぎるのがガラスに映った。
「あれっ? 夕夏ちゃん?」
 ――――ふいに背後から声を掛けられ、ぎくりとする。
 先ほど雄人の背後を通り過ぎたスーツ姿の男が、くるりと振り返って近づいてきた。
「やっぱり夕夏ちゃんだ〜! すごい偶然だね!」
「…………」
 ――――関根だ。
 なぜ、こんなところにいるのだろう……。
「この近くにある染料メーカーさん訪ねた帰りなんだ。あっ、さっきのメール、読んでくれた?」
 ……黒縁の眼鏡のフレームを押し上げて、雄人は低い声を作った。
「……どなたかと……お間違えじゃないですか……」
 途端にばしんと背中を叩かれて、軽く前につんのめってしまう。
「またまたあ! 俺が夕夏ちゃんを見間違えるわけないじゃないの!」
 これ以上しらを切るのもどうかと思い、雄人は小さくため息をついた。
「…………どうして……わかったんですか」
「え? そりゃあわかるよ! 横顔とか立ち姿とか、醸し出す雰囲気とか」
 おそるおそる振り返って、関根の顔を見上げる。
 女装姿しか知らない人に、素の姿で気づかれてしまったのは初めてだ。
 すっぴん、黒縁眼鏡、短い髪、地味な私服……地味で冴えない自分を客に見せるのは、やはり抵抗がある。
「なになに? お花買うの? 誰かにプレゼント?」
「……いえ……ちょっと……見ていただけです……」
 くるりと背を向けて、雄人はすたすたと歩き始めた。
 関根が追いかけてきて、隣に並ぶ。
「そうなの? あ、買い物帰り? 夕夏ちゃんこの近くに住んでるの?」
 矢継ぎ早に質問されて、雄人は目を白黒させた。
 男の姿のときに「夕夏ちゃん」と呼びかけられるのは、なんとも居心地が悪い。
「荷物重そうだね、一個持とうか」
「いえあのっ、結構です……っ」
 関根にレジ袋を奪われそうになり、慌てて取り返す。
「今時間ある? ちょっとそこでお茶しようよ」
「お茶……?」
 怪訝そうに言って振り返ると、関根は傍の喫茶店を指さして屈託なく笑っていた。
「せっかくこうして会ったんだしさ〜、ね!」
「…………僕、今夕夏≠カゃないんですけど」
 少々卑屈な気分になって、雄人はぼそっと答えた。
 言ってしまってから、贔屓にしてくれている関根に対して失礼だったかなと後悔する。
「……っ!」
 関根に肩を掴まれて、雄人はびくっとして立ち止まった。
 関根が雄人の前に立ちはだかり……にっこりと微笑む。
「じゃあ本名教えて」
「…………」
 困って、雄人は視線を泳がせた。
 本名を教えるつもりもないし、この格好でお茶につき合うつもりもない。
 なのに、関根の手を振り払うことができなくて――――。
「あら雄人、お友達?」
(……おばあちゃん……っ)
 背後から声を掛けられ、焦って振り返る。
「はい! 夕夏さんと親しくさせていただいております! 関根と申します!」
 関根の明るい返事に、雄人は唖然として彼の横顔を見上げた。
 ランパブのホステスの身内に自己紹介するなんて、この男はいったい何を考えているのだろう……。
「まあまあ、それはそれは。雄人の祖母です」
「おお、おばあさまでしたか〜! 外回りで来てたんですけど、偶然夕夏さんに会って、今お茶でも飲まないかと誘ってたところなんです〜」
「あらいいわね。せっかくだからそうなさいよ。荷物、冷蔵庫入れなきゃいけない分だけ私が持って帰るから」
「えっ、い、いいよ……っ」
 しかし雄人がおろおろしている間に、祖母に保冷用のバッグを奪われてしまう。
「じゃあ行こうか!」
 満面の笑みを浮かべて、関根が雄人の肩に手を回す。
 その強引な手に逆らうことができなくて……関根に引きずられるようにして、雄人は喫茶店に足を踏み入れてしまった――――。
posted by 神香うらら at 00:00| 商業誌番外編